ブログを始めて批評や文章を書くこと、読むこと、言葉などに関する選書が続く。批評家、歌人の次は詩人。タイトルに惹かれて選書したが、詩人によるエッセイのような散文詩のような本書は、読書のノウハウなどと安易な気持ちで読むと裏切られる。平易な言葉で語られているので読みやすくすいすい読み進めるが、ときおり、ん?どういうことだ?と戻って読み直す。その意味を咀嚼することに時間を要する。はい、もちろん読解力の問題でもあります。
冒頭から何度も読み直した。曰く、本というのは「本という考え方」をつくってきたものである、と。「本という考え方」とはなにか?それは、本が何かを表現する媒体、道具だという考えに留まらない、より人々の生に付随するありようだ。「本という考え方」によって、歴史のなかに成長してきたのが人間だ。思ったのは、ギターは楽器ではなくロックンロールという概念、生き方であると例えられるように、本とは物的なものではなく、本という概念が人類の営みそのもの、人が人たるための考え方そのもの。慣れ親しんだ読書という言葉に対して、思った以上に壮大なものなのだ。ではどのように壮大か。続けて読書という行為自体の意味合いを再構築していく。読書を構成する要素・意味をひっくり返すことで、読書という行為の意味が、どこまでも広がっていく流れが楽しい。
読書で必要なのは本ではなく椅子である。
読書で大事なことは覚えておくことではなく忘れること。
読書で意味のあることは読んだ本の多さではなく読まない本の多さにある。
読書の豊かさは語彙の多さではなく自分の言葉で語ることだ。
読書を情報を得るもの「分ける」文化としての側面だけでとらえず、「育てる」文化として考える。
読書とは本を読むことではなく、自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすこと。
最終的には読書という言葉が、本を読むことではないというところまで瓦解するのが面白い。本を読むという行為を全面的に定義し直すことで、読書が想像以上の広がりを持った行為であり、読む人も読まない人もその「本という考え方」に加担している社会のありようを筆者は提示している。本書を通じて、ぼんやりと「本って読んだ方が良いのだろうな」と感じていた重圧から解放されるようなおおらかさと温かさを感じた。