一軒の日本家屋──そんな静かなショットから始まる。家主・渡辺儀助は、元大学教授の一人暮らし。朝起きて顔を洗い、身支度を整え、米を研ぎ、魚を焼き、ひとり黙々と食事を済ませる。食器を洗い、コーヒー豆を挽き、買い物へ。衣・食・住に至るまで、70歳を超えたとは思えない“キチンとした”暮らしぶりだ。几帳面なのか、丁寧なのか。その所作からは、かつてフランス文学を愛した教養人らしい清々しささえ漂う。淡々とした日常の奥には、不穏な気配が潜む。口座残高は減る一方で、「終わり」は確実に近づいているのだ。時折垣間見せる亡き妻への慕情には、しみじみとした哀愁がにじむ。
そんな折、儀助のMacに届く“迷惑メール”の中に、“敵”の存在がほの見え始める──。やがて、現実と虚構(あるいは夢)の区別が曖昧になり、亡き妻までが姿を現し、儀助と会話する始末。混濁した精神のまま、庭で原節子風の女性教え子に詰問されるシーンは圧巻。長塚京三の声でか細くも「申し訳ない」と呟かせる演出が、本作でもっとも心揺さぶられたハイライトだ。
後半から終盤にかけて、ついに“敵”が姿を現す。モノクロ映像から、色彩豊かな画面への転換、ロックオンショット、スローモーションによる銃撃描写──前半で効いていた抑制が一気に解き放たれる。老いという敵との闘いとも見えるが、一方で儀助の生活や葛藤は、この家屋が記憶する風景の再演であり、その霧のような中で繰り返される四季のループにも見えた。